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マハティール・ビン・モハマド

マハティール・ビン・モハマド

マハティール首相

マハティール・ビン・モハマド

マレーシアの第4代首相。マレーシアの首相の中では最長の22年間を務めた。
欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。

日本の外交政策について

「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」

と述べている。

1992年10月14日に、マハティール首相が香港で行った「日本なかりせば」の演説は有名で、米を警戒させ、クリントンの圧力によって河野洋平が走り回ったと言います。 

「日本なかりせば」演説

過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとはすなわち極東だった。

そして極東は、異国情緒あふれる支那と竜のイメージ、お茶、アヘン、高級シルク、風変わりな習慣を持った珍しい人々など、奇妙で神秘的な印象を思い起こさせる場所だった。  

いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味は減った。その代わりに政治家とエコノミストの関心の的となっている。ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。その理由は、東アジアの人々が自分達とは異なっている、つまりヨーロッパ人ではないという点にある。  

そのため第二次世界大戦後の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家となって復興、繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と極東の「小さな日本」の経済発展はあまり歓迎されないように見える。  

それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、さまざまな手段を使って東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押し付けにとどまらず、あからさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。  

これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから世界は多くのことを学んできた。日本は軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、
かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国はその価格を押しつけられていただろう。  

自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。社会主義と平等主義の考えに基づいて労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。ヨーロッパ人は労組側の要求をすべて認め、その結果、経営側の妥当な要求は無視される。仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。  

貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。通商条件は常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立性はいっそう損なわれていく。さらに厳しい融資条件を課せられて「債務奴隷」の状態に陥る。  

北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなるため、貧しい南側諸国はテレビもラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。  

南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。
多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なくなったにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。  

また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。東アジアでは高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが関の山だった。  

したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES)も存在しなかっただろう。  

東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。  

もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう。


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