「東京裁判を、21世紀に多くのアジア諸国が見直して、第2回東京裁判が開かれる。(中略)A級戦犯の七柱は、一転して全アジアの救世主となり、神として祀られる日がくるであろう。」
戦前に検事総長、大審院長に登り詰めるなど法曹界で活躍した後、政治家に転身し、1939年に第35代内閣総理大臣を務め、その後国務大臣、内務大臣(第62代)などを歴任。
司法の世界でも政治の世界でも、生涯「徳こそ本質である」という考えを貫いた。
政治姿勢はきわめて保守的かつ国粋主義的であり、民主主義や社会主義、またナチズムやファシズム、共産主義といった外来思想を、常に危険視していた。
共産主義撲滅の為に日独伊三国同盟を計画するが、ドイツがソ連と不可侵条約を結んだ為、首相退任後は三国同盟に反対し、英米寄りのスタンスをとっていた。
グルーという駐日米大使に働き掛けて、絶対に戦争にしてはいけないという努力をした際には、それが軍に漏れ、『平沼は鬼畜米英に内通している』と言われたりもしている。
対米戦争には、消極的で内務省、検察、右翼勢力などに影で大きな権力をもつ平沼の存在は、和平派重臣にとって大きな力であった。
『右翼の総帥』『ファッショの首魁』と言われている平沼だが、世論全体や強硬派からは和平推進派とみなされており、右翼団体に暗殺されそうになったり、終戦未明には、自宅を焼き討ちされている。
しかし敗戦後、戦争指導者の一人として、A級戦犯に指名され東京裁判で終身刑を言い渡される。
病気で仮釈放直後に死去した。1978年に靖国神社に合祀された。
経緯
1888年帝国大学法科大学(東大法学部)を主席で卒業後、司法界で出世していく。
司法省参事官試補、民事局勤務を命じられ、以後判事になる。東京控訴院検事になってから検事畑を進み、大審院検事、司法省民刑局長、司法省刑事局長、司法次官を歴任し、1912年に検事総長になる。
第1次桂内閣末期、実業界の資金不足のために民間から資金を集める方法が議論され、社債の相談を持ちかけられた司法部の平沼が、曾禰荒助大蔵大臣に直に頼まれて、ほとんど平沼一人で社債信託法を立案し、審査を経て成立させている。
1908年、刑法改正(現行刑法制定)を機に設置された犯罪者の前科を記録するための方法を検討する「犯罪人異同識別法取調会」の中心メンバーとなる。平沼の報告書に基づいて、指紋による前科登録が導入される事となった。
平沼は元老西園寺公望に嫌われており、首相候補は元より、枢密院議長に就任できずに副議長に留め置かれたままであった。
西園寺が老齢により政治の表舞台から一歩引いた後に、枢密院議長に就任すると親英米派と妥協することでようやく首相の座に就くことができた。
共産主義撲滅の為に日独伊三国同盟を計画するが、ドイツが日本政府を無視し、ソ連と不可侵条約を締結したために「欧洲の天地は複雑怪奇」と言う声明と共に内閣総辞職を断行している。
退陣後、近衛文麿の新体制運動に関しては皇道派軍人とともに批判的な立場をとった。
新体制運動をナチスドイツの模倣と見做し反発していたからである。平沼は、ナチスを社会主義思想の一種として軽蔑していた。
結局、近衛内閣は平沼らに屈服し、平沼を無任所国務相として閣内に迎えた。
内相に就任した平沼は、ナチス型統制経済を目指す官僚グループを次々に追放している。また平沼は米国駐日大使であるジョセフ・グルーらと面会して、悪化していた米国との関係修復を目指している。
「親ドイツ色」を中央政界から取除くことがこの時期の平沼の行動目的であった。
平沼は対米関係修復を目指す第3次近衛内閣では実力者と目され、内閣参議・無任所国務大臣に就任している。このころ、右翼団体から狙撃され、首から上に弾丸5発を被弾する重傷だったが一命をとりとめている。
そして、開戦の賛否を討議する開戦直前の重臣会議では、平沼は開戦に消極的な見解を表明した。
戦時下では重臣として東條内閣倒閣に活躍。
内務省、検察、右翼勢力などに影で大きな権力をもつ平沼の存在は、和平派重臣にとって大きな力であり、平沼の邸宅で反東條派の重臣の秘密会合が開かれることもあった。東條内閣辞職後の重臣会議では「敬神家」として小磯國昭を推し、小磯内閣辞職後には他の重臣とともに鈴木貫太郎を推した。
1945年4月には首相となった鈴木貫太郎の後をついで枢密院議長となった。
終戦前に開かれた御前会議には、鈴木貫太郎首相から『どうしても入ってくれ』と言われ、参加している。ポツダム宣言を受諾すべしとの立場をとる。
鈴木貫太郎と平沼のせいで、ポツダム宣言を受諾したと思った軍部の過激派が、トラック2台に機関銃3丁載せて平沼の自宅を襲っている。平沼は別棟に逃れて留守だったために自宅が焼き討ちにあっている。東京裁判
終戦後、A級戦犯として終身刑が言い渡されるが、1952年病気仮釈放。直後に死去した。1978年に靖国神社に合祀された。
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