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A級戦犯と呼ばれた英雄達

ヘランボ・ラル・グプタ(インド独立運動の英雄)

「東京裁判を、21世紀に多くのアジア諸国が見直して、第2回東京裁判が開かれる。(中略)A級戦犯の七柱は、一転して全アジアの救世主となり、神として祀られる日がくるであろう。」




東條英樹東條英樹

陸軍大臣、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。
日米開戦時の総理大臣として、世界的にも有名である。

敗戦後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。

その後、連合国によって行われた東京裁判にてA級戦犯として起訴。
1948年11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。享年65。

遺骨灰の殆どは米軍が処理したが、一部を有志がひそかに持ち帰り、松井大将ゆかりの興亜観音(静岡県)に持ち込まれ、1959年に吉田茂元首相筆による「七士之碑」が建てられ、遺骨灰はこの下に埋葬された。
他にも、靖国神社を始め、サン・ピエトロ大聖堂、殉国七士廟(愛知県)など各地で祀られている。

経緯

1884年に東京都千代田区で生まれる。
陸軍大学校を主席で卒業し、俊才と目されながらも出世が遅れ、大将になれなかったことを、本人は長州閥に睨まれたことが原因と終生考えていたという。

1935年、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任。このとき関東軍将校の中でコミンテルンの影響を受け活動を行っている者を多数検挙し、日本軍内の赤化を防止したという。同年12月に中将に昇格。1937年、板垣の後任の関東軍参謀長に就任する。1938年に、陸軍大臣・板垣征四郎の下で、陸軍次官、陸軍航空本部長に就く。1940年7月22日から第2次近衛内閣、第3次近衛内閣の陸軍大臣を務めた。

1941年10月14日の閣議において日米衝突を回避しようと近衛文麿が「日米問題は難しいが、駐兵問題に色つやをつければ、成立の見込みがあると思う」と発言したのに対して東條は激怒し「撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか」「譲歩に譲歩、譲歩を加えその上この基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲りそれが外交か、降伏です」と唱え、アメリカに対し譲歩につぐ譲歩を重ねて来て、撤兵までしたら降伏に等しいと近衛内閣に反対した。その為、近衛内閣は辞表を提出。首相になるまでは、無理難題を押し付け続けるアメリカに対し、開戦の立場であったとされる。

首相就任

近衛首相の後任として皇族軍人である東久邇宮稔彦王を推す声が強かったが、内大臣・木戸幸一は、独断で東條を後継首班に推挙し、天皇の承認を取り付けてしまう。これは、対米開戦の最強硬派であった陸軍を抑えるのは東條しかなく、また東條は天皇の意向を絶対視する人物であったので、昭和天皇の意を汲んで戦争回避にもっとも有効な首班だというふうに判断されたからと言われている。
この首班指名には、他ならぬ東條本人が一番驚いたといわれている。

東條は皇居での首相任命の際、天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示される。天皇への絶対忠信の持ち主の東條はそれまでの開戦派的姿勢を直ちにあらため、外相に対米協調派の東郷茂徳を据え、一旦、帝国国策遂行要領を白紙に戻す。
さらに日独伊三国同盟の形骸化の可能性も提示し、対米交渉最大の難問であった支那からの徹兵要求について、長期的・段階的に徹兵するという趣旨の二つの妥協案(甲案・乙案)を提示する方策を採った。

東郷は、首相就任前は支那からの撤退は絶対反対の立場であったが、内閣組閣後の東條の態度・行動は、その真逆のものであり、開戦の回避に全力を尽くしている。

しかし、イギリスと対日参戦を約束していたアメリカは、日本が絶対飲めない条件であるハル・ノートを提示してきた。
ハル・ノートを目の前にしたとき、対米協調をあくまで主張してきた東郷でさえ「これは日本への自殺の要求にひとしい」「目がくらむばかりの衝撃にうたれた」といい、東條も「これは最後通牒である」と認めざるをえなかった。これによって東條内閣は交渉継続を最終的に断念し、対米開戦を決意するに至る。

対米開戦決定を上奏した東條は、天皇の意思を実現できなかった申し訳なさから幾度も上奏中に涙声になったといわれ、また後述のように、開戦日の未明、首相官邸の自室で一人皇居に向かい号泣しながら天皇に詫びている。

大東亜戦争開戦

1941年12月8日、日本はイギリスとアメリカに宣戦布告し大東亜戦争に突入した。マレー作戦と真珠湾攻撃を成功させた日本軍はその後連合国軍に対して勝利を重ね、アジア太平洋圏内のみならず、インド洋やアフリカ沿岸、アメリカ本土やオーストラリアまでその作戦区域を拡大し、影響圏を拡大させた。

東條は、敵国となった英米大使館への処置に関して、監視は行うが衣食住などの配慮には最善を尽くす上、「何かご希望があれば、遠慮なく申し出でられたし」と相手に配慮した伝言を送っている。

緒戦の日本軍の快進撃も、日本軍が予想を上回るスピードで勝ち進んだ結果、占領地域が東南アジア一帯に伸びたばかりか、戦線がアメリカ本土沿岸からアフリカ沿岸、オーストラリアにまで伸びたことや、ミッドウェイ海戦の敗北によりその勢いは陰りを見せ始める。

1943年と1944年を通して日本が鉄鋼材生産628万トン、航空機生産44,873機、新規就役空母が正規空母5隻・軽空母4隻だったのに対し、アメリカは鉄鋼生産1億6,800万トン、航空機生産182,216機、新規就役空母は正規空母14隻、軽空母65隻に達した。また、技術面でもイギリス、アメリカが格段に優位を見せていく。これらの状況を受け、1944年に入ると各地での日本軍と連合国軍の攻勢は完全に逆転することになる。

そのような中、東條は、外相・重光葵の提案を元に1943年11月、大東亜会議を東京で開催し、同盟国のタイ王国や満洲国、中華民国(汪兆銘政府)に併せて、イギリスやアメリカなどの宗主国を放逐した日本の協力を受けて独立したアジア各国、そして日本の占領下で独立準備中の各国政府首脳を召集、連合国の「大西洋憲章」に対抗して「大東亜共同宣言」を採択し、欧米の植民地支配を打倒した有色人種による政治的連合を謳いあげた。会議は概ね成功し、各国代表からは会議を緻密に主導した東條を評価する声が多く、今なおこのときの東條の功績を高く評価している国も存在する。

1944年2月17日、18日にアメリカ機動艦隊が大挙してトラック島に来襲し、太平洋戦域最大の日本海軍基地を無力化してしまった(トラック島空襲)。これを知り、東條はついに陸軍参謀総長兼任を決意する。
このころから、東條内閣打倒運動が水面下で活発になっていく。

1944年、東條は絶対国防圏を定め海軍の総力を結集することによってマリアナ諸島を死守する事を発令し、サイパン島周辺の陸上守備部隊も増強した。東條はマリアナ方面の防備には相当の自信があることを公言していた。
しかし、マリアナ沖海戦で海軍は失態を犯して大敗した。大型空母3隻を撃沈され、マリアナにおける制空権と制海権を完全に失ってしまった。そして、サイパン、グアム島、テニアン島と立て続けに陥落する。これによって、東條内閣の批判はさらに高まり、総辞職に追い込まれる。

終戦

1945年8月15日に終戦の詔勅、9月2日には戦艦「ミズーリ」において対連合国降伏文書への調印が行われ、日本は連合国軍の占領下となる。

東條は用賀の自宅に籠って、戦犯として逮捕は免れないと覚悟し、逮捕後の対応として二男以下は分家若しくは養女としたり、妻の実家に帰らせるなどして家族に迷惑がかからないようにしている。

1945年9月11日、自らの逮捕に際して、東條は自らの胸を撃って拳銃自殺を図るも失敗するという事件が起こった。

東京裁判

東條は東京裁判を通して自己弁護は行わず、この戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争であり国際法には違反しないと「国家弁護」を貫いたが、「敗戦の責任」は負うと宣誓口述書で明言している。

東條の国家弁護は理路整然としており、アメリカ側の対日戦争準備を緻密な資料にもとづいて指摘し、こうしたアメリカの軍事力の増大に脅威を感じた日本側が自衛を決意したと巧みに主張するなどして、キーナンはじめ検事たちをしばしばやり込めるほどであった。

東條が一切の自己弁護を捨てて国家弁護と天皇擁護に徹する姿は際立ち、自殺未遂で地に落ちた東條への評価は裁判での証言を機に劇的に持ち直したとする。

東條は「真珠湾を不法攻撃し、アメリカ軍人と一般人を殺害した罪」で絞首刑の判決を受けた。
しかし、真珠湾当時東條首相に立案・実行の権利はなかった。東條が戦争指導者としての権限を得たのは、参謀総長を兼任して以降であった。



開戦直後の日系2世に対して

東條は日米開戦の直後、在米の日本語学校の校長を通じて、アメリカ国籍を持つ日系2世に対して、「米国で生まれた日系二世の人達は、アメリカ人として祖国アメリカのために戦うべきである。なぜなら、君主の為、祖国の為に闘うは、其即ち武士道なり…」というメッセージを送り、日系人達を驚かせている。

遺言

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。

今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。
しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。

ただ力の前に屈服した。

自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。
ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。 天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。

元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。

このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。  

今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。  

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。
空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。

インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。
列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。

東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。

実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。

終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。
しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。
よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。

第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。

米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。

日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。
しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。
然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。

私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。

国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。

これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。

第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。
日本とドイツというものが取り去られてしまった。

それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。
米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。
この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。
これは当然米国の責任である。

日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。

米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。
およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。
産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。

なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。
従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。
戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。
戦犯者の家族には保護を与えられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。
近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。

もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。
これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に軍事的問題について一言する。

我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。

兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。

再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。

学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
いいかえれば宗教教育である。
欧米の風俗を知らすことも必要である。

俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。  

辞世の句

我ゆくも またこの土地に かへり来ん
国に酬ゆることの足らねば

さらばなり
苔の下にて われ待たん
大和島根に 花薫るとき

散る花も 落つる木の実も 心なき
さそうはただに 嵐のみかは

今ははや
心にかかる 雲もなし
心豊かに 西へぞ急ぐ


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