「東京裁判を、21世紀に多くのアジア諸国が見直して、第2回東京裁判が開かれる。(中略)A級戦犯の七柱は、一転して全アジアの救世主となり、神として祀られる日がくるであろう。」
陸軍中将。
中佐時代、衆議院国家総動員法案委員会で議員の野次に対し「黙れ」と怒鳴ったことでも有名。陸軍省軍務局軍務課長、陸軍省軍務局長、第37師団長を歴任。
戦後、陸軍幹部として対中戦を積極的に遂行したとしてA級戦犯に指名され、終身刑を言い渡される。
1956年に仮出所。出所後、東急管財の社長を務める。
対米強硬派だったと言われているが、開戦時の陸軍中枢において、アジアの植民地解放に最も熱心だったと言われている。
経緯
陸軍士官学校、陸軍大学校卒業後、アメリカ駐在を経て、主に軍政畑を進み、陸軍省軍務課長、軍務局長を務めた。
東條の側近としても知られる。
1938年、軍務課国内班長の時に国家総動員法の国会審議に出席、法案説明中に宮脇長吉議員からの野次に対し「黙れ!」と一喝して問題になった。
1941年、東条陸相の元、軍務局軍務課長として、日米開戦に至る政府部内での折衝の実務に当たる。
1942年、武藤章の更迭に伴い陸軍省軍務局長に就任。しかし、1944年サイパン失陥によって東條内閣が退陣を余儀なくされると、中央から追われ、支那派遣軍総参謀副長となる。
教育総監から陸相に回った杉山元に、蒋介石との和平の途を模索するよう言い含められていたが、現地はそのような状況にはなく成果は挙げられなかった。東京裁判
大東亜戦争後、陸軍幹部として対中戦を積極的に遂行したとして最年少のA級戦犯となり、東京裁判で終身刑の判決を受けて服役し、いわゆるA級戦犯では最も遅くまで拘留され1956年3月31日に釈放。
その後は東急管財(現・東急ファシリティサービス)社長を務めた。
また、自身の反米体験をもとにベトナム戦争反対運動に参加して話題になり、「共産党は無理だが、社会党の公聴会に呼んでくれないものか」と語った事もある。
開戦時の陸軍中枢においてアジアの植民地解放に最も熱心であり、死の直前まで面談者には大東亜戦争は聖戦だったと主張していた。
「黙れ」事件
1938年3月3日の衆議院・国家総動員法委員会において、陸軍省の説明員として出席していた佐藤が、議員に向かって「黙れ」と言った事件。
軍部が議会を脅迫した事件として書かれることが多い。
佐藤は、統制経済の専門家でした。統制経済とは、簡単に言うと、国家が経済を管理していくという方法です。
企業は、国家が指定した分だけ商品を生産し、国家はこれを全て買い取るという手法です。
この方法を取ると、企業は在庫を抱えないので戦時中でもリスクがなく経営が可能と言うメリットがあります。
ドイツは第一次世界大戦で自由経済のまま戦争をし、戦争終結と同時に企業は大量の在庫を抱え、戦後ドイツ経済が崩壊した原因の一つになっていました。
日本はその轍を踏まないように、統制経済体制である国家総動員法の法案が審議されていました。
しかし、誰も統制経済に詳しい者がいないので審議は遅々として進みません。
そこで、野党の板野議員から、「この法案は若い軍人や官僚が作ったのだろう。だから大臣たちはわかっていやしない。誰でもよいから、よくわかっとる人が説明してくれ」と提案があったので、議員でもなく本来であれば発言権のない説明員と言う立場の佐藤が説明を開始します。
当時の佐藤の階級は中佐という比較的低い身分でした。
佐藤の説明は30分を過ぎても終わらず、宮脇長吉議員がにわかに立って、「委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか」と食ってかかります(他の議員は静かに傾聴していた)。
佐藤は、「説明をやめろとおっしゃるならやめます。つづけよといわれるならつづけます」といって委員長の指示を待ちます。
小川委員長が続けろと指示したので、佐藤は説明を続けたところ、宮脇議員が妨害を続けました。
佐藤は宮脇議員のことを陸軍の教官として以前から知っており、陸軍出身の宮脇議員が、自分の育った陸軍に対して実に皮肉きわまる悪意に満ちた質問で食い下がったのを見て、たまりかねて「黙れ!」と言ってしまいます。
これは、軍部が議会を脅迫したと言うのは、戦後の自虐史観の一環で、宮脇個人と佐藤個人の軍の先輩後輩間の感情のもつれから出た言葉に過ぎないことが分かっています。佐藤が東條の子飼いになった訳
ある時に、佐藤の部下の男の妻が重病になりました。
しかし貧乏な部下では治療費もろくに出せません。部下は上司である佐藤に泣きつきますが、佐藤も結婚した時期の貧乏暮らしで金がありません。
佐藤は困り、陸軍大学時代の教官である東條に「金を貸して下さい、しかし返す宛てはありません」と頼みます。
東條は、妻に隣家から借金をさせてまで佐藤に金を貸しました。
佐藤はこれを終生の恩義として、東條の子飼いの部下になったと言われています。
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